論理のトリック [ビジネス一般]
日本人は論理的に考えることが下手だとよく言われます。そしてその理由は,日本語がそもそも論理的な構造になっていないからだ,という解説もしばしば聞かれます。
確かに,日本語はあいまいな表現でも相手にわかってもらえる(ただし日本語を母国語とする人たちの間だけですが)というところがありますが,しかし決して論理的な表現ができない言葉ではありません。要は訓練がなされていないだけなのだと,私は思います。それもかなり初歩的な部分での訓練不足が見受けられます。その結果,残念ながら多くの局面で「トリック」に引っかかっている人が多いように感じます。
大学でマーケティング・リサーチを教えていてとくに感じるのが,巧みなすり替えを利用したトリックへの弱さです。
例えばこの記事を読んでみてください。何かおかしなところはないでしょうか。
【毎日新聞 経済財政白書:消費税上げ必要 社会保障負担の財源に】
http://mainichi.jp/select/today/news/20080722k0000e020040000c.html
私がこの記事を読んで真っ先におかしいと思ったのはここです。
「税率引き上げに伴って低所得者ほど負担が増える逆進性の問題については「非課税品目、食料品への軽減税率、勤労税額控除」などによる配慮を掲げた」
訓練ができている人はもうピンときていることでしょう。もう少しフォーカスすると,
「税率引き上げに伴って低所得者ほど負担が増える」
この部分です。明らかに「単位」のすり替えです。
まず,どうして税「率」を引き上げると,低所得者ほど「負担」が増えるのでしょうか。同じ品物を買うのであれば,低所得者であろうが,高額所得者であろうが税「負担」はまったく同じです。変化するのは所得に占める税負担の割合が高くなるだけです。
次に,この「負担」の表現が字数の関係で言葉足らずであったとしましょう。その場合でも,いくつかの疑問が湧いてきます。例えば,
「本当に低所得者「ほど」負担が増加するのか?」
上記の議論は,買い物をする量(金額)が同じである場合を想定したものです。つまり1ヶ月に5万円の買い物をするのであれば,所得が100万円の人よりも30万円の人の方が「負担」が大きくなるというということです。
しかし現実には,高額所得者は低所得者よりもしばしば多額の買い物をします。その場合,決して低所得者ほど負担が増えるという理屈は成り立ちません。例えば車を買うにしても,100万円の軽自動車と1000万円の高級外車を買う場合,同じ税率であれば負担は後者の方が10倍大きいわけです。
そこで出てくるのが「生活必需品」の発想でしょう。生活に不可欠なものはみんな買わなくてはいけないから,税率を下げようという議論です。しかしどうやって線引きするのでしょう。かつて物品税から消費税に切り替わる際,これだけ価値観が多様化した今,何が必需品で何がそうでないかをわけることが困難なので,一律3%にしようとう話になりました。詳しくは忘れましたが,物品税時代は例えばコーヒーは非課税で紅茶は課税=贅沢品というおかしな線引きがあったわけです。
今に置き換えると,例えば発泡酒は必需品でプレミアムビールは非必需品,それではレギュラービールは? となるでしょうし,また魚は非課税となった場合,大間産の本マグロも非課税?という疑問が出てきます。「必需品」と言葉のトリックで,本質がわからなくなるわけです。
少し単位の話からずれましたが,もう一つだけ指摘しておくと,
「高額所得者は50%以上も税金を取られることと,使った分に応じて税金を払うことはどちらが公平?」
ということに対してはどう考えるべきでしょうか。金持ちはたくさん払って当然という意見もあるでしょうが,例えば国連の負担金の話になると,意見が異なる人も多いと思います。日本は世界1,2位を争うほど国連に対して金銭的な負担をしていますが,残念ながら国の主張を十分通すことができていません。人によっては,何で意見も通らないのに多額のお金を負担しなくてはいけないの?という疑問を持っています。
今回の話は,あくまでも議論のすり替えトリックのお話であり,税制のあり方そのものに意見をしたわけではありません。どちらの意見(主張)を支持するにせよ,新聞やテレビの報道をそのまま鵜呑みにしてはならないということが大切です。ニュースだけでなく,世の中に流れている情報(もちろん私たちの論文も)はすべて,何らかの意図というフィルタがかかっています。そのフィルタの存在を意識するかしないかによって,情報の読み取り方も大きく変わってきます。
確かに,日本語はあいまいな表現でも相手にわかってもらえる(ただし日本語を母国語とする人たちの間だけですが)というところがありますが,しかし決して論理的な表現ができない言葉ではありません。要は訓練がなされていないだけなのだと,私は思います。それもかなり初歩的な部分での訓練不足が見受けられます。その結果,残念ながら多くの局面で「トリック」に引っかかっている人が多いように感じます。
大学でマーケティング・リサーチを教えていてとくに感じるのが,巧みなすり替えを利用したトリックへの弱さです。
例えばこの記事を読んでみてください。何かおかしなところはないでしょうか。
【毎日新聞 経済財政白書:消費税上げ必要 社会保障負担の財源に】
http://mainichi.jp/select/today/news/20080722k0000e020040000c.html
私がこの記事を読んで真っ先におかしいと思ったのはここです。
「税率引き上げに伴って低所得者ほど負担が増える逆進性の問題については「非課税品目、食料品への軽減税率、勤労税額控除」などによる配慮を掲げた」
訓練ができている人はもうピンときていることでしょう。もう少しフォーカスすると,
「税率引き上げに伴って低所得者ほど負担が増える」
この部分です。明らかに「単位」のすり替えです。
まず,どうして税「率」を引き上げると,低所得者ほど「負担」が増えるのでしょうか。同じ品物を買うのであれば,低所得者であろうが,高額所得者であろうが税「負担」はまったく同じです。変化するのは所得に占める税負担の割合が高くなるだけです。
次に,この「負担」の表現が字数の関係で言葉足らずであったとしましょう。その場合でも,いくつかの疑問が湧いてきます。例えば,
「本当に低所得者「ほど」負担が増加するのか?」
上記の議論は,買い物をする量(金額)が同じである場合を想定したものです。つまり1ヶ月に5万円の買い物をするのであれば,所得が100万円の人よりも30万円の人の方が「負担」が大きくなるというということです。
しかし現実には,高額所得者は低所得者よりもしばしば多額の買い物をします。その場合,決して低所得者ほど負担が増えるという理屈は成り立ちません。例えば車を買うにしても,100万円の軽自動車と1000万円の高級外車を買う場合,同じ税率であれば負担は後者の方が10倍大きいわけです。
そこで出てくるのが「生活必需品」の発想でしょう。生活に不可欠なものはみんな買わなくてはいけないから,税率を下げようという議論です。しかしどうやって線引きするのでしょう。かつて物品税から消費税に切り替わる際,これだけ価値観が多様化した今,何が必需品で何がそうでないかをわけることが困難なので,一律3%にしようとう話になりました。詳しくは忘れましたが,物品税時代は例えばコーヒーは非課税で紅茶は課税=贅沢品というおかしな線引きがあったわけです。
今に置き換えると,例えば発泡酒は必需品でプレミアムビールは非必需品,それではレギュラービールは? となるでしょうし,また魚は非課税となった場合,大間産の本マグロも非課税?という疑問が出てきます。「必需品」と言葉のトリックで,本質がわからなくなるわけです。
少し単位の話からずれましたが,もう一つだけ指摘しておくと,
「高額所得者は50%以上も税金を取られることと,使った分に応じて税金を払うことはどちらが公平?」
ということに対してはどう考えるべきでしょうか。金持ちはたくさん払って当然という意見もあるでしょうが,例えば国連の負担金の話になると,意見が異なる人も多いと思います。日本は世界1,2位を争うほど国連に対して金銭的な負担をしていますが,残念ながら国の主張を十分通すことができていません。人によっては,何で意見も通らないのに多額のお金を負担しなくてはいけないの?という疑問を持っています。
今回の話は,あくまでも議論のすり替えトリックのお話であり,税制のあり方そのものに意見をしたわけではありません。どちらの意見(主張)を支持するにせよ,新聞やテレビの報道をそのまま鵜呑みにしてはならないということが大切です。ニュースだけでなく,世の中に流れている情報(もちろん私たちの論文も)はすべて,何らかの意図というフィルタがかかっています。そのフィルタの存在を意識するかしないかによって,情報の読み取り方も大きく変わってきます。
「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ (文春新書)
- 作者: 谷岡 一郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2000/06
- メディア: 新書
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