レベルの高さに脱帽 [研究]
今日からワークショップが始まりました。私の発表は明日ですが,すごいプレッシャーです。
とにかく皆さんプレゼンがお上手。しっかり時間内に納めてきます。それに質疑応答もアグレッシブ。もう口から心臓が飛び出しそうです…。
トヨタが2位を奪還 されど… [研究]
昨日も学会がありました。今回は組織学会です(http://wwwsoc.nii.ac.jp/aos/)。経営学関連では,現在もっとも元気のある学会の1つです。
その学会のあるセッションの中で,佐藤郁哉先生が面白いことをおっしゃっていました。この方は,フィールドワーク論や文化社会学の領域の先生で,経営学研究がドメインの方ではないのですが,非常に素晴らしい研究をされていて,私がもっとも尊敬する学者の一人です。この先生が担当されたセッションは,シネコンや人形浄瑠璃,弦楽器製作における伝統継承など,サービス業関連が中心のテーマ発表でした。
佐藤先生の著書
この場で佐藤先生は,「最近の研究は自動車産業に代表される,いわゆるマッチョな業種や産業のイノベーションや組織問題が中心なんですね。しかしすでに日本の産業人口はサービス業が製造業を上回っているわけで,これからはこのようなしなやかな分野の研究が発展することを望みます」。
確かに。経営学の研究というと,製造業の研究開発や製品開発,マーケティング戦略が中心テーマとなっていますが,実際の社会をみると小売業やサービス業でお勤めの方が多いわけです。当然,発生している問題,解決すべき課題もこちらの方が多そうなものなのですが,研究者はついつい派手で,「形」の見える製造業に走りがちです。新聞をみても,トヨタが取り上げられない日はないぐらいなのに,流通業やサービス業の取り扱いは小さいことが多いです。http://www.asahi.com/business/update/0602/TKY200706020052.html
ただ手前味噌ですが,私の師匠やその弟子の私たちは,小売業のイノベーション問題にすでに一生懸命取り組んでいます。例えば師匠は『ディマンドチェーン経営』の中で,小売業の革新に必要な5つの要素について研究をしていますし,近著『競争的共創論』では,小売業がメーカーのような他のプレーヤーと緊張関係を保ちながらも共同で何かを成し遂げていく姿を描き出しています。
私も,関西スーパー(http://www.kansaisuper.co.jp/)という小規模ローカルスーパーが,じつは日本の食品スーパー産業のデファクトスタンダードを作り上げ,さらにはそのノウハウを無償で公開してきたのですが,それはどうしてなのか,という研究してきました(この雑誌に論文が載っていますのでぜひご覧下さい)。
ぜひともビジネスに携わる方々にも,製造業のイノベーション問題だけでなく私たちのような研究も読んでいただき,ご支援いただければ幸いです。
学会 [研究]
今日と明日は学会があります。
学会というと,一般企業に勤めている方にはよくわからない「イベント」かもしれません。まあ簡単にいうと,新商品の展示会と同窓会がくっついたようなものです。
自分が最近どんな研究をしているのか同業者に説明することがメインなのですが,夜の懇親会などで同門の研究者と旧交を温めたり,新しいネットワークを作るためのネゴシエーションをしたりもします。
メンバーでなくとも参加可能な学会もいくつかありますので,一度覗いてみては?
ニンテンドーDS御殿 [研究]
研究の現場にも競争原理を導入。というかけ声のもと,私立はもとより国公立大学も自分で研究費を稼いできなさいというご時世です。
そのような中,「脳を鍛える」シリーズでおなじみの東北大学 川島隆太が,同ソフトで得た監修料をもとに研究棟を建設したそうです。さらに今年も3億円が入ってくるらしいのですが,それも別の研究棟建設にまわすとのこと。http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070514it14.htm
すごいことです。国公立でありながら,税金は使わず(厳密に言えば土地代ぐらい?),世界最先端の研究施設を自力で建ててしまうのですから,研究者の鏡ではないでしょうか。これからはこのようなスタイルが増えてくるかもしれません。
ただこのような自力に頼りすぎるのも考えもの。川島さんはこのお金を稼ぐために,本来研究にあてるべき時間を使っていたわけです。知の創造という視点から考えると,マイナスなのかもしれません。やはりある程度国が知識創造のために資金を投下することは必要だと考えます。
かつて小泉首相は「米百俵」の話をよく使っていました。あのとき小泉氏はこの話を改革による痛みを我慢させるための小噺として用いていましたが,もともとは将来役立つ人材を育成するために,苦しい中でも教育にお金をかけた長岡藩の話です。ですから,政府も米百俵を持ち出すのであれば,是非とも教育研究費にもっと多額の予算を投じていただきたいものです。戦後日本が復興できたのも,あれだけ苦しい状況でも教育にきちんと投資をしたからなのですから。
ところで,東北大学は新しい研究棟を「川島記念館」ぐらいにはしているんでしょうか。それぐらいしてあげないと。
※件の米百俵のお話はコレです。
勝谷誠彦氏のコラムより [研究]
諸般の事情から,火曜日はどうしても遅い時間の更新になってしまします。先週のように朝早く取りかかることができればよいのですが…。
遅くなったことをよいことに,先ほど立ち読みした『SPA!』より。私の好きな勝谷誠彦のコラムの中で面白い話がありました。海外から日本をみてみることの必要性だったのですが,バンコクのあるジャーナリストの指摘に関する話が秀逸でした。バンコクでは最近クーデターがありましたが,そのジャーナリストいわく「第二次世界大戦以降,アジア諸国でクーデターによる政権交代がおきていないのは日本だけでは?」
確かに。日本にいると政権交代は選挙による手段で,それが民主的だと思っていますが,海外,それも身近なアジア諸国からすると別に選挙による政権交代が普通ではないわけです。さらにそのジャーナリスト氏いわく「なんで日本ではクーデターが起きないか。それはアメリカの植民地だから」。これは皮肉半分のなのですが,外からみると日本はこのように写っているわけです。
このブログは経営学に関するものなので,政治システムがどうのという話をするつもりはありません。ただ,この外からの視点ということは研究者として,そして経営者として必要なのではないでしょうか。これはクーンのパラダイム論にも通じますが,1つの世界にどっぷりとはまっていると,モノの見方が固定化してしまいます。そして異なるパラダイム間では議論が通じないということが起きます。
組織を維持するためにはこのパラダイム固定は大切なのでしょうが,新しい発想や活力をを組織に呼び込む時には,この固定化されたパラダイムは邪魔者になります。どこかで自分たちを外から見る。大切なことだと思いました。
パラダイム論に興味がある人は是非これを
勝谷誠彦氏の近著はこちら
NTT 知恵の笑い [研究]
世の中の多くの人は,私たち研究者の研究成果についてあまり興味はないのではないでしょうか。どうせ小難しいことだろう。現実の社会では役に立たないものばかり研究しているのでしょう? というのが正直な感想なのでは。一方研究者サイドからしても,どうせわかってもらえない,俺たちは俺たちの研究をする。というスタンスであることが少なくありません。
しかしこれからの研究はそれではいけません。とりわけ私が属しているような経営学の世界では,できるだけビジネスの世界との交流を深め,研究成果が現実を動かすようにならないといけないと,私は考えています。そのためには研究者も自分たちの研究成果の「プロモーション活動」に本気で取り組む必要があります。学会誌に掲載された,学会で発表した,だけでは十分ではありません。
そんな研究者のプロモーション活動について,面白い記事を発見しました。日経新聞によると,NTTが研究所の研究成果を公開するサイトを開設,そのナビゲーターとしてお笑いタレントを起用することになったというものです http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=NN001Y154%2013042007 難解なテーマをお笑いタレントが面白おかしく解説していくというこの企画,自分たちの研究を象牙の塔のものだけにしない,新たな試みとして注目すべきではないでしょうか。
知恵の笑い http://www.chie-warai.jp/
研究者という職業に興味がある方はこれらがオススメ
自分の頭で考える -科学的に疑う姿勢 [研究]
「地球が温暖化すると,北極の氷が解けて海面が上昇し,都市を飲み込む」
最後の「都市を飲み込む」はともかく,このことを信じている人は少なくないのではないでしょうか。
最近は朝日新聞のテレビコマーシャルでも,これを連想させるような映像を流しています。
しかし,少し考えればわかることですが,これは大間違い。小学校の理科の授業を思い出してください。
【問題】
コップ一杯に氷が入った状態で,水が一杯いっぱい入っています。しばらくすると氷が解けてきますが,そのときコップの中の水はどうなるでしょうか?
正解は当然,そのままですよね。氷は水になって体積が減ったわけですから。多くの人は実際に理科室で実験して感嘆の声を上げていたのではないでしょうか。自信がない人はhttp://www.ctt.ne.jp/~yasu/rika4nenkoori.htm あたりで再度お勉強。
さて,北極の氷の話に戻りましょう。コップの水を海,氷山を氷にすれば…。同じであることがわかるはず。
ほとんどの日本人が小学校を出ているわけで,当然このことを勉強したであろうはずなのに,どうして北極の話になると水が溢れるという結論になるのでしょうか。思い込みなのか刷り込みなのかわかりませんが,人はこんなに簡単な話も騙されてしまいます。
最近はいわゆるスピリチュアルな世界や感性を大切にする話がもてはやされています。怪しげなスピリチュアルの世界はともかく,感性の大切さは私も否定しませんし,科学が万能とも思いません。ただ科学的にモノを見たり考えたりする姿勢は,やはり大切なのではないでしょうか。例の納豆ダイエットの問題も騙す方も問題ですが,騙される方も騙されるほうです。ちょっと考えれば,うさんくさいことがわかるではないですか。
自分の頭で考えて,そして科学的な視点で物事を見直す。情報化社会に暮らす私たちに,今こそ必要な能力であると考えます。
もう少しこのことを勉強してみたい人は,この本がお勧めです。
査読論文の重要性 [研究]
昨日,学会誌に投稿していた論文の査読結果が帰ってきました。結果は「一部修正の上,採択」。
ジャーナルへの投稿は3度目なのですが,前2回は師匠との共著。単独で採択されるのははじめてなので,ちょっと(じつはかなり)うれしかったりします。
業界ルールをご存じない方に少しだけ説明しておくと,研究者は研究成果として論文を作成します。しかしこの論文,ただ書いただけでは誰の目にも触れません。それを発表する媒体が必要となります。その発表媒体の1つがジャーナルと呼ばれる学会誌になります。
この学会誌に掲載される論文は2つのタイプがあります。1つは「依頼論文」。学会誌の編集者から,このようなテーマで書いてくださいとお願いされて書くものです。普通の雑誌の原稿依頼のようなものです。編集者から依頼があるわけですから,当然必ず掲載されます。
しかし,論文の依頼があるのはある分野で高名な研究者の方々。私のような駆け出しで能力のない研究者には声はかかりません。そのような研究者でも論文が発表できるような制度が,「投稿論文」です。何か新しい研究が完成したら,その成果を論文にして編集部に送って掲載をお願いするわけです。
ただし論文を送れば無条件で掲載してもらえるわけではありません。審査があるのです。この審査が「査読」と呼ばれるもので,優れた研究をしている先生方が,投稿者の論文を読んで問題点や修正点を指摘してくれるわけです。そして通常,「無条件採択」「一部修正の上,採択」「大幅修正の上,採択」「不採択」の4レベルぐらいで点数がつけられます。研究者の通信簿のようなものです。大幅修正の場合は,修正したものを再度査読者に提出し,再審査してもらう必要もあります。投稿から評価が帰ってくるまで短くても1ヶ月,長ければ半年以上かかります。その期間はドキドキものです。
もちろん,ジャーナル以外にも発表媒体はあります。例えば大学に所属する研究者なら,ワーキングペーパー(DP)やディスカッションペーパー(WP)といった,作成した論文を大学に提出さえすれば簡易製本してくれる制度もありますし,投稿すればほぼ100%掲載される研究年報のようなものもあります。それなのにジャーナル掲載を目指す研究者が少なくないのはなぜでしょうか。
それは評価が違うから。人にもよりますが,研究者の論文業績評価は,査読論文>>>依頼論文>>>>>>DPやWPと見なされています。海外ではもっとその傾向は顕著で,査読付き論文がどれだけあるかによって就職や昇進が違うそうです。
私が尊敬する師匠は,海外の超有名大学で博士号を取得してきた方です。そのため査読論文を中心とした研究スタイルの重要性をいつも説かれています。毎回,論文を投稿するときは大変ですし,胃が痛くなります。しかし,得るものも非常に大きい。決して安易な方向に流れずにがんばっていきたいと思います。
ちなみに師匠の代表作はこちら。